『ヒロインズ』/ ケイト・ザンブレノ
年明けから半分趣味でやってる言語生成AIの勉強が楽し過ぎて読書が疎かになっていたが、レビューはなんとか継続せねば。。
名著『ヒロインズ』、思ってた数倍難しかったので、一旦一部まで読んだ感想を整理する。
著者であるケイト・ザンブレノさんは、夫であるジョンの転勤にともない、知り合いのいないオハイオ州に引越し、「非常勤」や「補助的」な仕事を探すも、なかなか上手くコトが運べず孤独な日々を過ごす。
そこから著者はモダニズム文学にのめり込み、ヴァージニア・ウルフなど実在する女性(ヒロイン)のエピソード等がこれでもかと膨大に引用されて出てくる。
これは完全に自分のせいだが、まず、このあたりの時代文学を全く知らないので、出てくる著名人については「????」の連続。
T・S・エリオットの妻のヴィヴィアン、
などと言われても、夫側も妻側も知らないので、カタカナに慣れるまでは相当しんどかった。
ただ、100ページ目くらいからにわかに熱を帯びていった。というか、俺がこのあたりでようやく、本書が何を言ってるのかがぼんやりと理解できてきた。
ここでの私は、まず彼の妻。
といった何気ないフレーズが示す通り、本書は自分自身の境遇を過去の「著名な夫の妻」にひたすら重ね合わせることで、彼女たち(ヒロインズ)を浮かび上がらせている。
できるだけ家庭的な生活を送ること、
豊かな想像力を持つことや頭を使うことは有害とされていたこと、
そのせいで病気になるとされており、精神病院に送られたりロボトミーを強いられてきたこと、
そういった不遇を経験し、存在を忘れられた女性を現代に浮かび上がらせ、それによって自分自身を取り戻そうとする強烈な意志を持った文章。
ヒステリー患者は、結局は書き手にならない書き手なのだ。
それでもやはり、彼女たちには自分たちの物語があった。私がここでやるべきなのは、それだ。彼女たちの側の物語を語ること。
もし彼女にコミュニティと呼べるようなものがあったなら、あの過酷で混沌とした日々の中でも、自分を失わずにいることができたのではないだろうか。
生き延びるためひたすら引用を繰り返すが、、著者もまたあらゆる声に日々不安になって、明らかな鬱状態であることが読み取れる。
その葛藤が何度も何度も繰り返し、進んでは戻ったまま211頁が経過して第1章が終わった、、、
第2章果たしてどうなるんや、、期待と不安。