佐久間裕美子さんがクラファンで出されているZINE、もう3作目とかみたいやけど、本作の副題「男性特権について話そう」に惹かれて購入。「男性特権」はこないだ読んだ小沼理さんの日記本にも出てきたし、「家父長制」と並んで個人的に今もっともアツい言葉。フェミニズムやジェンダーというカタカナで格好つけるより、こうやって四字熟語で会社のトイレとかに標語的にバーンって貼り付けとく方が、俺含むおじさん達に伝わるんじゃなかろうかと思った。
2部構成になってて、前半は佐久間さん含めたメンバーで男性特権について語った座談会の文字起こし、後半は十名程度のエッセイがまとまっている。
どちらももう素晴らしく、”いい意味”で居心地が悪い。
基本的には数多あるジェンダー本同様、家庭から仕事まで、あらゆる場面で溢れるジェンダー不平等について、一般市民の方々の声を通じてとことんあぶり出したもの。けどそのあぶり出しを、女性だけが集まるのではなく男性比率もかなり高めた上で行ってるのが素晴らしい。チェ・スンボムさん著『私は男でフェミニストです』を読んだ時にも、以前「ジェンダー」というテーマで開催されたオンライン読書会に参加した時にも腑に落ちたけど、
ここまでジェンダー不平等が、少なくともネットや本では叫ばれて可視化されているにも関わらず何故か実生活にほぼ反映されてないのって、叫んでるのがほぼ女性であり、大多数の男性には居心地悪く疎ましく感じ、むしろ二分化するような形になってしまい、結局ルールやシステムの決定権は相変わらずその「大多数の男性」が握ってるから変わらないというループ。だから『私は男で〜』の解説で上野千鶴子さんも書いてたけど、そこを打破するには本書のように、男性側をもっと巻き込み、男性が男性を指摘するようにならないといけない。それが本書には終始一貫して主張されてて、故に男性側として男性を指摘できていない俺としてはずっと心苦しく居心地悪かった。
けれどその居心地の悪さは、1つ1つ肯定して剥がしていかなきゃいけない。早川雄大さんのエッセイ「いつまでも「社会は男性が動かすものだ」と思ってる人へ」は、全文スクリーンセーバーにしようかしらと真面目に思うほど良い文章。
多くの男性はこの “uncomfortable”(居心地の悪さ)を積極的に避けてきた。なかったことにしてきた。なかったことにして、自分には関係ないとシラを切る。 そうやって、どこか他人事で済ませてしまうのは、男性自身が自らの特権に向き合うことが、極めて居心地悪い取り組みだから。“uncomfortable"に向き合わず、いつまでも自分が安心していられる場所から動こうとしない。 それこそが「男性特権」的であり、いざその特権が脅かされそうになると、ここぞとばかりの力で阻止しようとする。
まず“uncomfortable”をどれだけ受け入れられるのかを自問するところから始めるべきだ。政治家が女性蔑視発言をしても、広告やキャンペーンがジェンダーの観点から炎上しても、どこか自分とは関係ないものだと切り離していては、いつまでも男性が社会を動かすべきだという価値観の保持に加担してしまうだろう。