武田砂鉄さん『父ではありませんが』読了。サイコー!!
結婚していて子を持たない著者が、「父親ではない」状態からの言葉が世の中にあまりないことに気づき、そこについてじっくり書いてみよう、と思ったのがきっかけで生まれた作品。子どもが泣き出した時、みんなが子どもの話で盛り上がってる時、結婚してしばらく経つ子なし夫婦と過ごす年末年始などに何故か流れるいびつな空気感など、「子を持たない側」からの考えをズバズバ言ってて、確かにこういった言葉はこれまであまり書かれてない、と思うことばかりで、子を持つ身として改めて内省させられるような感覚やった。
自分は「子を持つ側」として、子を持つことで生じるある種の特権を享受し、同じ特権を持つ同士で結託して、大変ですよねと言い合うことに慣れている。同属間で生まれるバイブスは気持ちがいい。けれどその結託に、砂鉄さんが釘を刺す。
境遇が重なったもの同士でなければわからないことがある。確かにそうだろう。でも、そこから「あなたにはわからない」がいくつも生まれていることを知ってほしいと何度でも思う。
いや砂鉄さん、そんな意図はないんです、と、読みながら何度も心の中で弁解してみる。けれど、いや、本当にそうなのか俺?と、懐疑的な気持ちも同時に生まれる。本当に、何の意図もなくクリーンな気持ちで結託しているのか、と改めて問うと即答できず、やはりどこかに「子を持つ側」という強力なマジョリティ集団に属することで「持たない側」との境界を引いてたんじゃないか、と心許ない気持ちになる。
本書はこんな風に、自分の中でこれまで持っていたストレートな当たり前に対し、「ちょっと待てよ」とストップをかけてくれる。本書に限らず砂鉄さんの著書はテーマが政治であれジェンダーであれそういうストッパー要素が強かったけど、本書は「子どもを持たない」という、今の世の中的に言語化されにくいテーマを取り扱かってる点でこれまでに読んだことなかったし、あまり意識しえなかった視点を手に入れた気になった。
ただ、文体自体はめちゃ軽快なんで、読めてしまうという砂鉄マジック。後半、石原慎太郎の著書や武田鉄矢への痛烈ディスから始まる、男らしさについての章はめちゃめちゃ笑った。刺さるし笑えるしで、素晴らしい作品、オヌヌメ!
「ない」「できない」「持っていない」「やっていない」からも考えることをしなければいけないと思うんです。人は誰でも、何かについては当事者でないはずから。それに、第三者は「第三者という当事者」ですし。