金川晋吾さん、『いなくなっていない父』読了。素晴らしい!
こないだ読んだ『father』の続編的エッセイ+日記。というか、前半は『father』に描かれていた内容と多々重複しており、初め「なんか焼き増し感ある、、?」と若干不安やったが、『father』はひたすら、まるでコンピュータのように粛々と父親のログを残してるといった作品やったのに対し、本作は時間軸としては同じ時期を描いてるものの、現在の著者が「あの頃の父親との日々は結局なんだったのか」について考察しながら振り返ってる。つまり本作の方が著者・金川さんの人間性が前面に出てきてるようやった(むしろ『father』が、表現作品としてはある種特異点という感じ)。
前半は『father』振り返り。こんなにも打っても響かない父親に何故著者は接しようとするのか、それはやっぱ血のつながりみたいなものなんかと思ってたけど、前半を読むとそんなことはなく、著者は父親を興味深い実験体(喩え悪くてすみません)のように捉えてるとこがめちゃ面白かった。
他人の分からなさの深淵に触れる楽しさ、よろこびのようなものがある。なんだかよく分からない他人を前にして、自分自身が揺るがされるのだが、だからこそ何かを語りたいという欲求が生じてくる。
(ちなみに血のつながりではない、という主張は後半にも出てくる。著者が男男女の3人共同生活を営んでることからも、著者の家族観みたいなものが浮き彫りになってくる)
言葉の奥にある、父の本音なんてものは考えなくてよい。考えるからそんなものがあるような気がするだけなのだ。
後半は著者と父との関係に第三者が介入してくる。具体的には『father』出版後に入った取材。富士本さんという、金川さんと金川さんのお父さんのドキュメンタリーを作るために取材してるNHKの社員のエピソードがなんとも面白い。取材に伺った金川父の家で酔い潰れたり、そもそも酔った状態で取材に臨まれてたり笑 そしてそれに翻弄される金川さんの、翻弄されつつも「もしかして翻弄されてる俺の方がおかしいんじゃないだろうか」と真面目に内省する姿もより面白い。
金川さんの文章は終始、捉え所のなさがなんとも魅力やと振り返って思う。写真家であり文筆家である著者は、なんらかの事象を切り取って表現してる時点で、そこに何かしらの意味づけが為されると思うんやけど、『father」然り本作然り、少なくとも文章からはむしろ、「何も意味を見出さないこと」が意識されているように感じる。それは父親に対してだけでなく、富士本さん始め取材陣も同様。これこれこういう事象があった、と書いてるんやけど、そこから各人の伝えたい思いみたいのはあまり浮き彫りになってこず、ホンマに「これこれこういう事象があったのだ」ということだけが書かれている、そこがなんとも奇妙で稀有な読書体験。分からないものを分からないままに、もやもやした感情をもやもやしたままに、俗にいうlet it goスタンスは度々啓発された。他作品も読みたい!