『こころはひとりぼっち』 / 植本一子
パートナーとの関係を良いものにするために通ったトラウマ療法について細部まで描写した前作『愛は時間がかかる』から一転、パートナーとの関係を解消してからの数ヶ月を描いた日記。
全編にわたりパートナーの不在、ひとりでいることの寂しさや不安について語られたもので、元夫・ECDが亡くなって以降出版された著書の中では最も重く、故にめちゃくちゃ心を動かされた。不謹慎なのは承知の上で言うけど、やっぱホンマ、「書くことで生きてる」を体現してる唯一無二の方だなって改めて思う。
繰り返しになるが、重い。多かれ / 少なかれ・大/ 小あれどどんな人でも辛い経験は日々してるし、人に話したりゲームしたりして皆やりくりしてるだろうけど、
本書の場合とにかく、自分がこの辛さをどう感じてるかを、心の表面にある言葉そのまま文字に起こしてる。それは著者にとっては自傷行為にもなり得るし、読み手にとっても自身に置き換えてフラッシュしかねないリスクを孕んでる。
けど個人的には「そのまま文字に起こしてる」という状態がとても重要だと思ってて、
一般的には、読み手に持ち帰ってほしいポジティブなファクターを、譬え実体はポジティブでなくとも強調するようなものは多いと思う。それは本で出してる以上、暗黙のルールみたいなものやろけど、植本さんの本作はホントにそれが(いい意味で)薄く、
寂しい、誰かそばにいてほしい、不安、しんどい、
という純粋な一次感情がありのまま書かれてる。それに救われる読者は多いと思う。
個人的には、植本さんが、夜の時間帯にフリー開放されてる夏休みの中学校のプールに1人で行く描写はかなりグッときた。1人でいることの不安、けれど乗り越えたいという逡巡、そして乗り越えた時のフワッとした明るさ、
心情描写されなかったら側から見ればなんてことのない日常の細部やけど、内部ではこんなにもヒトの心が渦巻いてるということを見事に描写してて、あぁ自分もこういう時あるなって泣きそうになった。
来年、どんな作品が出るのだろう。と楽しみでしかなく、追い続けます!
健全な状態で育てられた、敏感でない性格を持った自分だったらどんなに楽だったろう、と時々考えるけれど、そんな自分は今の自分ではないし、また全然別の人生を歩んでいるはずだ。そうなると、あの時子どもを産むことも、本を出すことも、パートナーに出会うこともなかった。